ソニーの歴代の社長(CEO)

名前 説明
前田多門
井深大

1950年11月~
1971年6月
第2代社長。ソニー創業者。技術者としてテープレコーダーやトランジスタラジオ、WALKMANなど世界初の革新的な商品を数多く生み出した。

早稲田大理工学部卒。パリ万博で優秀賞を受賞、天才発明家として脚光。戦前から企業経営に携わり、戦時中は海軍で兵器開発。1946年東京通信工業設立の趣意書で「理想工場の実現」を説いた。1997年死去。
盛田昭夫

1971年6月~
1976年1月
第3代社長。ソニー創業者。技術者ながらも「世界のセールスマン」として、下請けメーカーになるまいとSONYの4文字を冠した商品を世に広めた。

大阪帝大理学部卒。尾張の造り酒屋に生まれ、海軍時代に井深氏と出会う。盛田家は長年実質オーナー。ソニーを世界に売り込み、欧米で最も知られた経済人だった。経団連会長目前に病いに倒れ、1999年死去。
岩間和夫

1976年1月~
1982年9月
第4代社長。創業期の技術陣をリードし、トランジスタやCCDを生み出した。1954年に渡米した際にまとめた「岩間レポート」が半導体研究の礎となった。

東京帝大理学部卒。1976年社長就任。盛田昭夫氏の義弟。エンジニアとして井深氏を支え、CCD開発を指揮。1970年代にコンピュータ時代の到来を予見し、プロジェクトを立ち上げた。社長在職のまま1982年に急逝。
大賀典雄

第5代社長。東京芸大音楽部卒。在学中に、電気や機械についての才覚を井深大と盛田昭夫に見込まれ、ソニーの嘱託社員となった。 ベルリンに音楽留学。CD技術を拡大発展させた。

1982年社長就任。製品デザインを洗練させた立役者で、プレステ立ち上げにも尽力。2001年11月末、北京で東京フィルを指揮中に倒れる。
出井伸之

1995年4月~
2005年6月
第6代社長。デジタル・ドリーム・キッズなどのコンセプトを提唱し先進的な経営者ともてはやされた。後半は業績を悪化させ、責任を問われ退陣させられた。

実父は早大政経学部の教授で自身も稲門をくぐる。ソニー入社後は外国部に配属、フランス法人設立に参加。1980年代にパソコン事業を手掛けるが失敗。担当事業部長として「ベータ」撤退も指揮した。1995年に社長就任、2000年会長兼CEOに。
ハワード・ストリンガー

2005年6月~
2012年4月
初の外国人トップ。第9代社長。ジャーナリスト出身という異色の経歴の持ち主。グループが一致団結すべきと「ソニーユナイテッド」を提唱。
平井一夫
吉田憲一郎


社長にはなったが、経営トップ(CEO)にはならなかった人

名前 説明
安藤国威 安田講堂の攻防戦があった1969年に東大経済学部を卒業。ソニー入社早々、創業者・盛田昭夫氏の秘書に。ソニー・プルデンシャル生命立ち上げの中心メンバーとして活躍。北米の製造統轄責任者を務めてから帰国後、パソコンの「バイオ」シリーズを成功させる。2000年、社長兼COOに就任。


ソニーの歴史

(1946年~1950年は前田多門社長、1976年~1982年は岩間和夫社長)

主な商品・出来事
1946年 東京通信工業(現ソニー)設立
1950年 国産初のテープレコーダー発売
1955年 国産初のトランジスタラジオ発売
1958年 ソニーに社名変更
1960年 世界初のトランジスタテレビ発売
1963年 世界初のトランジスタ小型VTR発売
1968年 トリニトロンカラーテレビ発売
CBSソニーレコードを設立
1975年 家庭用ベータ方式VTRを発売
1979年 「ウォークマン」発売
1982年 CDプレーヤー発売
1985年 カメラ一体型8ミリビデオ発売
1987年 デジタルオーディオテープ(DAT)デッキを発売
1989年 米コロンビア映画(現ソニー・ピクチャーズエンタテインメント)を買収
1992年 MDシステムを発売
1994年 「プレイステーション」発売
1997年 DVDプレーヤー発売
パソコン「VAIO」発売
1999年 ペット型ロボット「AIBO」発売
 

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特集 さよなら! 伝説のソニー なぜアップルになれなかったのか

2012年2月

なぜソニーはアップルになれないか

「アップルはソニーのようなブランド」。かつてアップルはソニーを引き合いに出して自社を語ったが、いまや立場は完全に逆転してしまった。その原因はどこにあるのか。

「さまざまな面で、VAIOのZシリーズは(アップルの)MacBook Proを圧倒している」(フィナンシャル・タイムズ)

「(PlayStation VITAは)疑いなく現在最も進んだ携帯ゲーム機。世界中が魅了されている」(IGN)

2012年1月、米国ラスベガスの地で、ソニーのハワード・ストリンガー会長兼社長CEOが、プレゼンテーションの舞台に立った。後ろの巨大スクリーンには、ソニー製品を賞賛する声がいくつも映し出されていく。

世界最大級の国際家電見本市、CES(Consumer Electronics Show)でのひと幕。世界の名だたる家電メーカーが、今後の戦略やビジョン、目玉製品の紹介を行う“晴れの舞台”だ。

プレゼン冒頭で9億個ものソニー製品が世界中で使われていることを示すと、それらがどれほど優れた製品か、メディアの筆に代弁してもらう。なかでも紹介に力を入れたのが、“戦略商品”の「Sony Tablet」だ。

「他に類を見ない、天才的といっていい形状だ。われらが愛するソニーにふさわしい」(ギズモード)

「iPad2の最大のライバルだ」(フィナンシャル・タイムズ)

「信頼できるメーカーによる、単なるiPadの類似品とは一線を画すタブレット」(ウォール・ストリート・ジャーナル)

1つだけでは飽き足らず、いくつもの賞賛の声を重ねて、会場に製品のよさを訴えかけていった。

後半には、映画と音楽の事業も手がけていることをアピールするように、映画俳優ウィル・スミスが登壇。あいだに新技術導入の目玉製品として「クリスタルLEDテレビ」をお披露目すると、その後さらに、米国の国民的な歌姫、ケリー・クラークソンが生歌まで披露した。

「Goodbye, audience」

歌が終わると、ストリンガー氏は満足気に歌姫とともに舞台から消えていった。ソニーのプレゼンはこうして幕を閉じた。

発売4ヵ月の戦略商品が100ドル引きの値札

しかし、“晴れの舞台”でストリンガー氏が見せた満面の笑みとは裏腹に、現実世界ではそれにそぐわない事態が起こっていた。

華やかなプレゼンが行われた会場から、十数キロメートル離れた郊外にあるベストバイという家電量販店。そこで事件は起きていた。

ベストバイとは米国に約1500店舗を持ち、「北米のテレビの約3割を売る」(家電メーカー幹部)というほどの販売力を持った、世界最大の家電量販店だ。

巨大な店内の中央に目玉商品を陳列するスタイルを取っており、今はタブレットがズラリと並んでいる。アップルコーナーにあるiPadを除き、その中で最初に目に飛び込むのが、サムスン電子の「GALAXY Tab」と、アマゾンの「Kindle Fire」だ。

ソニー・タブレットは、その2つの脇にたくさん並ぶタブレットの中の1つとして陳列されていた。驚きなのは下に貼られた値札だ。発売4ヵ月足らずで最安値モデルが、定価の499ドルから100ドルも値下げをされて、2割引きで売られていたのだ。もちろんこの店だけでなく、ほかの店でも同じ値段で売られているという。

じつは米国では直販サイトであるソニーストアでも同様に、期間限定として100ドルの値下げ販売をしている。ソニー米販売会社のフィル・モリニュー社長は「年末商戦向けの一時的なものにすぎない」と、その背景を説明する。

しかし、現地の家電メーカー幹部からは「売れているという話を聞いたことがない」という声が漏れ伝わっており、販売不調に苦しんだ結果の値下げと見られているのだ。

不調の大きな原因の1つとされるのが、店内のいちばんいい位置に置かれていたKindle Fireだ。電子書籍リーダーとして販売されるも、インターネットの閲覧やアプリケーションの購入など、できることはタブレットとなんら変わらない。

400~500ドルが相場だったタブレットの世界で、それが199ドルという破格の値段で売り出されたのだから、その衝撃はそうとうなもの。米国の年末商戦であるブラックフライデーでは、大幅値下げが当たり前。ところが、あまりの安さに定価のKindle Fireを目玉として、チラシの表紙に載せた家電量販店が出たほどだ。

発売から2ヵ月で400万台以上を売り上げ、「2012年1月の販売台数はiPad2に並ぶ可能性」(IDC Japanの木村融人氏)もあるという。

他のメーカーからすれば、199ドルという価格設定はたまったものではない。というのも、調査会社アイサプライによれば、原価割れで販売していることにほかならないからだ。

Kindle Fireの登場で、タブレットは一気に日用品(コモディティ)と化し、価格競争の世界に突入。米国のコンピュータ誌「LAPTOP」では、300ドル以下のタブレットが溢れてきた状況に「KINDLING?(発火?)」と、Kindleの名前をもじって見出しをつけた。

その影響をもろに受けたのが、Kindle Fire発売の2ヵ月ほど前に、499・99ドルという高値でタブレットを出したソニーというわけだ。すでにタブレット市場では、消費者が定価に見合った価値を見出せずに、大幅値下げの憂き目に遭ったタブレットが死屍累々だ。

どれほど賞賛の声が上がっていようとも、50ドル、100ドルと値下げの幅を大きくしてきたSony Tabletも、着実にコモディティの世界に沈みつつある。

アップルが体現する“ソニープレミアム”

タブレット市場に起こったコモディティ化は1つの象徴にすぎない。その波はデジタル化していった多くの家電製品に襲いかかっているのだ。

たとえば液晶テレビでは40インチの価格が5年足らずで5分の1になってしまったし、4万~5万円が相場のスマートフォンの世界には、台湾メーカー・ファーウェイ製の2万円台という格安スマホが登場した。そうした流れをさらに加速させているのが、メーカーとはまったく違うビジネスモデルを持ち込む、アマゾンのような他業界の刺客だ。

アマゾンは自社端末を安売りによって普及させることで、本業である小売り業の販売を促進しようと考えている。「自社の自動販売機を配っているようなもの」(大手家電メーカー幹部)で、原価割れで被る出費を補って余りあるリターンを、199ドルの向こう側に見ているのだ。

本業がエレクトロニクスであるソニーに、同じような芸当ができるはずもない。ソニー幹部は、「ハードで稼がなくてもいいというKindle Fireのビジネスモデルは脅威」と、異形の参入者に危機感を募らせる。

かつてのソニー製品といえば、コモディティ化とは無縁の世界にいた。製品の品質やデザインなどのよさから、他社より1~2割高くても買ってしまう“ソニープレミアム”という言葉まで存在していたくらいだ。

北米の家電事情に詳しい関係者によれば、「今でもソニーのテレビは他社よりも少し高い値付けがされている」という。しかし、価格が維持できても売れなくては意味がない。ソニーの北米テレビ市場(40インチ以上)におけるシェアはわずか7%にすぎないと言われ、“ソニープレミアム”とは、ほど遠い状況だ。

むしろ、かつて存在した“ソニープレミアム”を今に体現しているのが、アップルといえよう。

Kindle Fireの発売後も、499ドルするiPad2の売れ行きは好調。値下げをしたものの1割引きにも満たず、しかもブラックフライデーに合わせた1日限りのものだった。格安スマホも物ともせず、iPhone4Sも快進撃を続けている。

一見同じような製品を作っていながら、いったいこの差は何なのか。この後は、製品の裏側にあるサービスやシステムといったソフトの面に注目して、ソニーとアップルのあいだにある歴然とした差を分析していく。

Interview with Kazuo Hirai ネットワークサービスは未完成 揃ったパーツのつなぎ方が鍵
平井一夫 ソニー副社長(ネットワークサービス事業担当)

ソニーが重要経営課題と位置づけるネットワークサービス。自社製品を結び付けることで便利になれば、他社との差別化、脱コモディティ化にもつながる。責任者に取り組みの本気度を確かめた。

──ネットワークサービスのプラットフォーム(基盤)、PlayStation Network(PSN)を、もう1つのSony Entertainment Network(SEN)と統合することを、早くから表明している。進捗状況はどうなのか。

SENという大きな枠組みの中でのPSNの立ち位置について、まだ社内で結論に至っていない。

PSNはソニーのプラットフォームで最大規模だし、ブランドも浸透している。SENよりも先に始めて、あれだけ大きくなったのは嬉しいが、全体のブランディング戦略の中でどう扱うべきか、悩ましいところでもある。

ただ、ユーザーにとって大事なのは1つのIDでいろんなサービスにアクセスできるということ。これからも(電子書籍配信サービスの)Reader Storeなど、ID統合を徐々にやっていく。

──全IDの統合実現は、どれほどのタイムスパンで考えているのか。

コンセプトとしては明日にでも実現すべきだが、ソニーにはさまざまな種類のIDがある。それらを全部統合するとなると、システム周りからなにから全部変えなくてはいけないため、かなりの時間とカネ、労力がかかってしまう。

いろいろな部署でそれぞれサービスを始めてしまったものだから、ユーザーに登録をお願いした情報やパスワードの文字数など、全部バラバラだ。どこに基準を置いて収斂させるか、足りない情報はどう担保するか。社内でかなり議論をしているが、そうとう突っ込んでやらないといけない。当然、取り組んではいく。

──ネットワークで製品をつなげることで、どうやって稼ぐのか。

前から話しているとおり基本的には、いかにハードウエアの販売を強化できるかという考え方で取り組んでいる。

ソニーの場合、ゲーム事業で必要だったこともあり、PSNというプラットフォームにかなり投資をしている。そのため、一から立ち上げるとなるとのしかかってくる巨額の投資は、ゲーム事業ですでに吸収してしまっている。

そのいい意味での余裕が、まずはハード事業を強化してくれればいいと言える大きな要因であり、ソニーにとって唯一、大きなアドバンテージだと思う。

──多くの企業がネットワークサービスに注力しているなかで、ソニーの強みはどこにあるのか。

パーツ(製品やコンテンツ)は揃っている。あとはどうつなぐかだ。ただ、今の状態でユーザーに価値を見出してくれというのは、時期尚早だ。今が完成形というわけでは、まったくないことを理解してほしい。

現状のネットワークサービスはあくまでベース。これからどうやってサービスを追加していくかが、ソニー製品の差別化につながっていく鍵となる。

──主力製品の多くがアップルと重なる。どう戦うのか。

つまらない回答で申し訳ないが、奇策はない。ユーザーに喜んでもらえる機能とデザインを、喜んでもらえる価格で提供するしかない。

社員も店員も多くがお手上げ 乱立するソニーのサービス

関係者ですら、その多くが全貌をつかめていないソニーのネットワークサービス。どの端末に何のサービスがつながっているのか、解読は困難を極める。ユーザーは本当に使いこなせるのか。

「アップルのiCloudですか? “怖くて”使えないんですよ」

そう語るのは、大手家電メーカーで自らスマートフォンなどの開発に携わるエンジニアだ。

「会社でウィンドウズのパソコンを使う必要があるのに、iCloudを使い始めると、便利過ぎてアップルから離れられなくなる。それが怖いんです」

そう冗談めかして言うものの、実際それは本音だろう。まさにこの言葉にアップルのビジネスの強みが表れている。そしてそれは、今のソニーに欠けている部分でもある。ここではソニーとアップルを徹底比較して、ソニーがアップルになれないワケを分析していく。

ソニーとアップル両社のビジネスモデルを比べると、その差は歴然。特筆すべきは、30%を超すアップルの営業利益率の高さだ。その前では3%弱のソニーは霞んでしまう。

製品の年間販売台数にも特徴が出る。ソニーは多い製品でもテレビやカメラなどの2000万台レベルだ。一方、アップルは扱う製品数こそ少ないものの、iPhoneが7000万台以上も売れるなど、1つの製品がモンスター級の売れ行きを誇るのだ。

売上高の構成を見ても、そういう製品が大半を占めているのがわかる。しかし、ソニーとアップルの差を製品というハードだけに求めると、本質を見失うことになる。重要なのはハードを見事にサポートするソフトやサービスである。

ソニーとアップル両社が手がけるネットワークサービスのプラットフォーム(基盤)を図解したものだ。どの製品でどういったサービスを受けることができるかを示している。

右側を見ればわかるように、アップルは見事に整理されている。IDを1つ登録すれば、iTunesというプラットフォームの中ですべてが完結。映画や音楽、アプリケーションなどを楽しめる。

それも、主要なアップル製品のどれからでも利用することができる。そのうえ、iCloudというクラウドサービスで製品同士の情報を共有して同期できてしまうというのだから、冒頭のエンジニアの「離れられなくなる」という気持ちも理解できる。

一方、ソニーも現在、「統合UX(ユーザーエクスペリエンス)」というキャッチフレーズで、社内改革を進めている。従来、縦割り意識の強かった社内に「ソニー製品を使ったユーザーにすばらしい体験を」という視点で横串を入れ、全社横断的によい製品とサービスを提供しようという取り組みだ。

その一環で推し進めているのが「4スクリーン戦略」である。テレビとパソコン、スマホにタブレット。ネットワークを介して4つの画面を結ぶことで、ソニーが持つ映画や音楽といったコンテンツを提供。「ハードウエア販売の強化につなげる」(平井一夫副社長)というのだ。

ところが、その実情はじつにお粗末だ。「つつけばつつくほど、ほころびが見つかる状態だ」──。事情をよく知るソニー社員は、決まりの悪そうな顔で視線を落とした。

ソニーには大きく2つのプラットフォームが存在する。Sony Entertainment Network(SEN)と、PlayStation Network(PSN)だ。加えて、電子書籍配信サービスのReader Storeも運営している。

しかし、これだけではまだアップルと同じだけのサービスは受けられない。さらにグーグルのAndroid Market(アプリ配信)、レーベルゲートのmora(音楽配信)が必要だ。そして、すべてのサービスを享受するには、4つもIDを作らなくてはいけない。

そのうえ、これらのサービスがどのソニー製品とつながっているのか、すべてを把握するのは至難の業。家電量販店の店員に聞いてもお手上げ状態だし、おそらく多くのソニー社員も使いこなしてはいないだろう。

たとえば、PlayStation Storeでコミックを買うとする。パソコンとPlayStation3、PlayStation Portable(PSP)から買うことはできるが、PSPでなければ読むことができない。PSPの後継機であるはずのPlayStation VITA(VITA)でさえも読めないのだ。

それだけではない。ソニー製品で音楽を楽しむとしよう。Xperia(スマホ)からはmoraで音楽をダウンロードできるが、Sony Tabletではできない。パソコンに入った音楽をケーブルでつないで移さなければいけないのだ。当然、Xperiaで買った音楽を共有することはできない。

さらにmoraもPSPには対応しているが、その後継機であるVITAでは利用できないのだ。

製品同士のつながりだけでなく、ソニーが提供するサービス同士のつながりにもわかりにくい点が多い。音楽やビデオ、電子書籍などでサービスが重複しているのだ。

特に問題は電子書籍だ。PSNとReader Storeで同じタイトルが並んでいるが、互換性がない。PSPで読んでいたコミックの続きをReader(電子書籍リーダー)で読もうとすると、再度買わなくてはいけないのだ。

「タイトルは同じでも、PSNとReader Storeで配信しているコンテンツは規格が違う」とソニー社員は説明するが、ユーザーにとっては関係のないことである。

「今後3年のあいだにソニーは、ネットワークにつながった製品を3億個提供していく」。ハワード・ストリンガー会長兼社長CEOはそう断言するが、単に“つながる”製品をたくさん出しても、ユーザーを混乱に陥れるだけだ。(構造化知識研究所

アップルに遅れること8年でも“時期尚早”か

ネットワークサービスの使い勝手において、圧倒的な差が見られたソニーとアップルだが、もう1つ注目すべき点がある。それが、ハードとソフトの関係だ。

次々に発表される新製品に目を奪われがちだが、じつはアップルは同時に、必ずといっていいほどOSのアップデートや新サービスの提供を開始している。

iTunes(音楽の再生・管理ソフト)と、iTunes Store(音楽配信サービス)によって、iPodという携帯音楽プレーヤーは音楽の世界を塗り替えた。このようにアップルは実現したいコンセプトなどに沿って、ハードの性能とソフトやサービスの機能を同時に進化させてきたのだ。

「製品数の絞り方が見事で、なかなかマネできない」(大手家電メーカー幹部)と、日本メーカーはアップルに舌を巻くが、その秘密もソフトに対する考え方にある。

日本メーカーが「多様なニーズに合わせていくつもモデルを作ってしまう」(大手家電メーカー幹部)代わりに、アップルはアプリやソフトによって、そのニーズを拾い上げているのだ。そのため、1つの製品が爆発的に売れ、モデルも少ないから効率的な経営ができるというわけだ。

平井副社長は「今のネットワークサービスが完成形というわけではまったくない」と語り、別の幹部も「まだ始まったばかり」と口を揃える。しかし、iPhoneの登場からおよそ4年半、iTunes Storeに至っては約8年もたっている。

ハードの販売に結び付けるどころか、ソニーが掲げる4スクリーン戦略では、アップルが製品を持たないテレビ以外のすべての製品でアップルに完敗。サムスン電子には全敗している。

ネットワークサービスの整備は、アップルと同じ土俵に上がるためのスタートラインでしかない。いまだにそこにすら立てない現状に「時期尚早」という言い訳は許されない。

Column 家電量販店員が連発する「少々お待ちください」の真相

お客とソニー製品の“出会いの場”。その最前線を確かめるべく、本誌記者は2011年12月下旬、東京・池袋にそびえる日本最大級の家電量販店を半日かけて巡り、新発売のソニー製品に触れてきた。

「正直、困っています」。そうつぶやくのは、携帯音楽プレーヤーの売り場を担当する若い男性店員だ。悩みのタネは、2011年12月に発売されたばかりのAndroid搭載のWALKMAN「Zシリーズ」だという。

音はいい。デザインも悪くない。人気歌手の西野カナのCMを見て、2万5000円ほど(32ギガバイトモデル)とやや高くても欲しい人もいる。「でも、これまでウォークマン用に出してきたスピーカーやコンポの多くが使えないんです」(男性店員)。製品の横幅が大きくなり、単純にコネクタ部分に挿さらないのだ。「もう1台、対応するスピーカーやコンポを買ってくれと、僕もなかなか言えないんですよ」。

さらに音楽、映画、アプリとあまねくコンテンツを楽しめるソニータブレット。「SONY」のロゴ入りジャンパーを着たスタッフがいたので、他のソニー製品とコンテンツをどう共有できるのか聞いた。すると……。

「少々お待ちください」。電話で問い合わせを始めて、10分ほどして返ってきた回答は「基本は単独で楽しむもの」とのこと。では端末ごとに二重課金されるのか、誰も本当のことがわからない。

そこで別フロアに移動。スマートフォンの担当者にも「スマホとタブレットで、コンテンツを共有できますか」と聞くと、ここでも返答は「少々お待ちください」。そして足早に去り、約5分後に戻ってきて、その口からこぼれ出た言葉を聞いて、記者は絶句してしまった。

「お客様、アップル製品などはいかがでしょうか」

伝説のソニー ありがとう そして さよなら!

ソニー65年の歴史を語るうえで欠かせないものが2つある。それがソニーの「設立趣意書」と「金のモルモット像」だ。というのも、この2つが「ソニーとは何者か」を示すアイデンティティの根幹にあるものだからだ。

ソニー創業者の1人、井深大氏が1946年、戦後の荒野の中で会社設立の前にしたためたのが「設立趣意書」である。そこには設立の目的の第1として、「真面目なる技術者の技能を、最高度に発揮せしむべき自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」が掲げられた。

そして、「不当なる儲け主義を廃し、あくまで内容の充実、実質的な活動に重点を置き、いたずらに規模の大を追わず」「経営規模としては、むしろ小なるを望み、大経営企業の大経営なるがために進み得ざる分野に、技術の進路と経営活動を期する」などを経営方針と決めたのだ。

この想いを胸に歩み出し、少しずつ歴史を重ねていた1958年、評論家の大宅壮一氏による「ソニー・モルモット論」なる記事が「週刊朝日」に掲載された。

トランジスタなど、ソニーが持てる技術力と人、時間やカネをかけて生み出した製品でも、儲かるとわかれば大企業が潤沢な資金を持って市場に参入、トップの座を奪ってしまう。ソニーは大企業のために実験として使われるモルモットだというわけだ。

当初、井深氏たちはこの記事に憤慨したが、後になって考えを改めている。ソニーが苦労して開発した技術や製品が、他社にマネされたとしても、人びとの生活に息づいている。これを井深氏は「モルモット精神の勝利」と語った。

ソニーの苦労によって日本の産業が発展し、消費者の生活が便利になれば、たとえ“モルモット”と呼ばれようとも、それでいいのではないかと考えるようになったのだ。

そして、こうしたモルモット精神の積み重ねこそが、あのスティーブ・ジョブズ氏が慕い、世界中が憧れる「S・O・N・Y」という4文字のブランドを築いていったのだ。

人びとはその4文字に、今までにないものを生み出す、他社がやらないことをやる、なにか新しいことをやってくれるという期待を抱いた。ソニーが世に送り出す製品によって、自分の生活がよりよくなることを想像できたのだ。

翻って今のソニーはどうだろう。今も自由闊達にして愉快なる理想工場であり続けているか。大企業ゆえに手がけられない分野に、自ら乗り出しているか。モルモット精神は今も持ち続けているだろうか。

設立趣意書

ソニー設立時に井深大氏が記した設立趣意書。現役社員のみならず、OBも時に読み返すことがあるという。まさにソニーの原点である。

金のモルモット像

革新的な商品を多数世に送り出した井深大氏。1960年にその功績を認められ、藍綬褒章を受賞した際に、社員有志から井深氏に贈られたもの。

「モルモット精神はどこに!?」 SONYに思う心のつぶやき

ソニーの現役幹部や社員、OB、そして一般ユーザーから寄せられた言葉。経営層は心して読んでほしい。

  • OBのほかに現役社員でソニーのことをアツく語る人はいないのか。そういう人に今のソニーをなんとかしてほしい。(40代・元ソニー社員)
  • 「SONY」の看板がつくと製品が高くなってしまって他社に勝てないし、製品の開発スピードも遅くなってしまう。(50代・元ソニー社員)
  • ハード重視で、世界のイノベーションの中心にいるとは思えなかった。(30代・元ソニー社員)
  • かつて故松下幸之助さんに「ソニーは松下研究所だ」と言われた頃が懐かしい。(元ソニー役員)
  • 初めてウォークマン(カセット)を手にしたときの喜びは今も忘れられません。昔はファンでした。(50代・女性)
  • ソニースピリット、ベンチャー精神を思い出してほしい。(30代・男性)
  • リスクを取ってでも、ワクワクする社風にしたい。(ソニー役員)
  • アイディアはいいが、トップが大事に育てようとしていない。(元ソニー役員)
  • ソニーのNGワードは「統合」や「つなげる」という言葉。「強みをつなげてシナジー効果を発揮する」とか言い出すと、間違いなく失敗する。(40代・元ソニー社員)
  • 社内に「変人」がいなくなってしまった。(50代・元ソニー社員)
  • 多くの米国人が自国の企業だと思い込んでいたという逸話を、昔聞きました。(50代・女性)
  • ウォークマン世代で、その当時は革新的な企業という感じだったが、昨今はアップルにそれを感じている。(40代・男性)
  • 上司に理解されなくても、勝手にやる。(40代・ソニー社員)
  • 技術がわかる人材がマネジメント層にほとんどいないのはおかしい。(40代・ソニー社員)
  • 経営幹部が商品を愛さなくなった。(40代・ソニー社員)
  • 宝のような技術が、まだまだたくさん埋もれている。(元ソニー役員)
  • もはや技術者の天国ではなくなった。(30代・男性)
  • 会議のための会議、そのための会議と、とにかく会議が多過ぎて、クリエーティビティを求められていないのかと思ってしまう。(20代・ソニー社員)
  • 大企業だからできるメリットを生かしてやるという視点も必要ではないか。社員がネガティブになり過ぎている面もあると思う。(40代・ソニー社員)
  • 「米国でソニーが40インチテレビを10%値下げしていたが、これはどういう戦略か」とサムスンが聞いてくるのに対し、ソニーは「最近サムスンってどうですか」。マーケティングのレベルが違い過ぎる。(30代・男性)
  • ブランドナンバーワンの企業だった。過去形で言わざるをえないのは心苦しいです。(60代・女性)
  • ソニーと聞いてまず思い浮かぶのは「高くて壊れやすいソニータイマー」。(10代・女性)
  • 赤字続きなのに、なぜトップは8億円ももらっているのか。(30代・ソニー社員)
  • 平社員でも、ある程度の裁量を持たせてもらえる環境がある。(30代・ソニー社員)
  • 無数のエンジニアたちの気持ちを、経営陣はわかってください!(30代・ソニー社員)
  • 仕事がおもしろいから、働いているだけ。(50代・ソニー社員)
  • もう、ソニーに残された時間は少ないんですけど、前に進まない。(30代・ソニー社員)
  • 1つ新製品を出すまでに、コンプライアンスやセキュリティのチェックが何重にもかかって、とにかく時間がかかる。(40代・ソニー社員)
  • トップがどこに向かいたいのかがわからない。社員全員が360度、いろんな方向に散り散りに進んでいる。(30代・ソニー社員)
  • サムスンに負けずに頑張ってほしい。(40代・女性)
  • 昔はかっこいい会社。今は普通。(30代・女性)
  • アップルを超えるウォークマンとスマートフォンが合体したものを作ってほしい。(10代・男性)
  • 世の中にはまだ存在していない革新的な製品を作ってほしい。日本人として応援しています。(20代・男性)
  • 世界ブランドとしての威厳を復活していただきたい。S・O・N・Yの4文字は今でも通用します。(60代・男性)

すべては【ソニーらしさ】のため

2003年7月

目まぐるしい組織変更

機能別組織、事業本部制、カンパニー制、そして、ネットワークカンパニー制--。目まぐるしく組織構造を変えてきたソニー。その歴史は、【ソニーらしさ】を追求するための改革の歴史だった。

楠木建(くすのき・けん)(一橋大学大学院国際企業戦略研究科助教授)

「クオリア」の発表会場で出井伸之会長は「予算に制限は設けない。各セクションが、最高の技術を示すことを期待する」と語った。このクオリアは、実は、ソニーの組織運営上の課題に挑戦するプロジェクトでもある。

これまでソニーは、目まぐるしく組織構造を変えてきた。1983年の「事業本部制」、1994年の「カンパニー制」、そして、1999年の「ネットワークカンパニー制」と、大きく3つの転換点を経て今に至る。

井深大、盛田昭夫、岩間和夫、大賀典雄ら、スーパーCEO(最高経営責任者)やCOO(最高執行責任者)がいた創業時から1980年代にかけては、経済合理性の追求が組織改革のテーマだった。ところが、1995年に就任した出井伸之が打ち出した組織改革、ネットワークカンパニー制では、デジタル時代を勝ち抜くビジネスモデルの構築へと、力点の置き方が大きく変化した。

目まぐるしく組織を変えてきたソニーの狙いは何か。その理解のために、まず、組織改革の歴史をひもといてみよう。

事業本部制

組織の細分化で取り戻した機動力

創業まもなく大ヒットしたトランジスタラジオに象徴されるように、1970年代までのソニーは、卓越した製品コンセプトとそれを実現する技術力、世界市場をにらんだマーケティング、そして、数々のヒット商品を通じて培ったブランド力を武器に、順調に成長してきた。

ところが1980年代初頭、主力のオーディオ事業が世界的な不況に陥り、対応に遅れたソニーの業績も不振に陥った。

業績低迷の原因は外部環境の変化だけではない。内的要因として、従業員数の増加が挙げられる。創業以来、テレビやオーディオなどの様々な製品を、すべて同じ開発・生産・販売(開・生・販)部門でこなしてきた機能別組織では、指揮・命令系統が複雑なため現場が混乱し、非効率を招いていた。

こうしたジレンマに直面した1983年5月、社長の大賀典雄は、大規模組織にふさわしい経営システムへの転換を提唱し、「事業本部制」の導入に踏み切った。会社創設から37年目のことだった。

事業本部制の最大の目玉は、全体の組織を、商品、情報機器、半導体といった小さな単位、つまり4つの事業本部に分けたことだ。各事業本部には、それぞれ開・生・販の機能が備えられ、事業本部長には、開・生・販のプロセスを一貫する権限と責任が与えられた。これで指揮・命令系統が明確になり、担当者は、受け持つ製品の市場の動向に合わせる自由度が増した。それだけ、ソニーらしい製品の開発に集中できる環境が整ったというわけだ。

一方、各事業から独立した立場で全社的な戦略を立案する役目を、本社が担った。半導体デバイスの外販や、米大型企業の買収を通じ音楽、映画といったエンターテインメント事業へ進出するなど、事業領域が多角化したのもこの時期だった。従来の町工場的な経営からの脱皮が、事業本部制の導入だったのだ。

カンパニー制

重複資源を統一し効率性・機動性を追求

事業本部制の導入から10年ほど経過した1992年。ソニーは、円高による輸出採算の悪化や、国内外でのAV(音響・映像)機器の競争激化による利益率の低下が響いて、単独決算で創業以来初となる営業赤字205億円を記録した。

組織に目を転じると、多角化を進めた結果、1993年には19の事業本部と8つの営業本部を抱えるまでになっていた。これにより、例えば、類似した半導体をテレビとオーディオの事業本部がそれぞれ独自に開発するなど、相互に関連する経営資源が重複し、非効率になっていた。また縦の意思決定プロセスが最大8階層にまで多階層化し、機動力が発揮できなくなっていた。

そこで1994年1月、再び大賀が「カンパニー制」を導入。組織改革を行った。カンパニー制では、細分化された19の事業本部と8つの営業本部を、8つの事業ユニット、つまり「カンパニー」に統合し直した。例えば、テレビとオーディオを「コンスーマーAVカンパニー」として一まとめにし、各事業本部の間で重複していた経営資源の有効活用を目指した。併せて、従来の「次長」職を廃止。意思決定プロセスを4階層にまでスリム化し、迅速な意思決定を可能にした。

ここでいうカンパニーとは、社内の事業ユニットを独立した法人に見立て、責任と権限がどこに帰属するのかをより分かりやすくするために使用した名称にすぎない。確かに事業本部制のときに比べ、ユニットをくくる範囲が大きくなったものの、本質的な組織の編成原理が大きく変わったわけではなかった。ただし、カンパニーの運営と事業責任の自主性を強調するため、カンパニーの責任者には「プレジデント」の肩書を与え、決済上限額も、従来の2倍の10億円にまで引き上げた。

効率性と機動性を回復したソニーは、ゲーム機「プレイステーション」のヒットもあり、1997年には再び回復軌道に乗った。

もっとも、このカンパニー制は、出井伸之社長が就任した1995年を挟んだ1996年に、早くも見直しが行われている。各カンパニーが自由になりすぎたため、本社が横断的に調整する必要が出てきたからだ。

そこで、会長以下専務までの上級役員で構成される経営会議とは別に、全社的なグループ経営の戦略立案を行う「エグゼクティブ・ボード」を設けた。これが、日本ではソニーが1997年にいち早く採り入れることとなった、経営の監督と執行を分離する「執行役員制」の導入につながった。

ネットワークカンパニー制

「アナログ」から「デジタル」へのパラダイムシフトに対応

ところが1990年代は、アナログからデジタルへと、技術のパラダイムシフトが加速した時代でもあった。

技術の進歩が比較的遅かったアナログ時代には、いわばアイデア次第で先行逃げ切りのビジネスモデルが成立した。だがデジタル時代には、汎用化した部品の組み合わせで商品化が可能で、極言すれば、3カ月ごとにモデルチェンジを繰り返すパソコン(PC)に象徴されるように、新製品の発売翌日には他社に模倣されてしまう可能性もある。アナログ時代のビジネスモデルでデジタル時代を迎えれば、価格競争に巻き込まれ、経営体力を消耗しかねない。

そこで1999年、出井が導入したのが「ネットワークカンパニー制」だ。従来の組織改革と大きく異なるのは、「各製品市場で勝つ」ことではなく、「新しいビジネスモデルを開発する」ことに、主眼を置いた点だ。

10のカンパニー(1996年の改革で2つのカンパニーが追加された)を、テレビ、ビデオなどのAV機器の「ホームネットワークカンパニー」、コンピュータや電話機、デジタルイメージング関連事業の「パーソナルITネットワークカンパニー」、半導体、記録メディア、電池、その他のデバイス関連事業の「コアテクノロジー&ネットワークカンパニー」の3つに統合。そこに、子会社のソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)と既存のブロードキャスト&プロフェッショナルシステムカンパニーを加えた5つの事業ユニットが、現在のエレクトロニクス事業の基本構造となっている。

ネットワークカンパニーは、単純に個々の製品に対応した単位ではないところがポイント。様々な製品、ソフト、サービス、コンテンツを融合し、新しい顧客価値の創出を目指すものだ。つまり「何を作って売るか」ではなく、「新しいソニーの楽しみ方」を創造するのがネットワークカンパニーのミッションだ。

布石となったのは、AVとITを融合したPC「VAIO(バイオ)」の成功だ。1997年に発売されたバイオは、ミニディスク(MD)やデジカメ、デジタルビデオなどのデジタルAV機器をPC本体と接続することで、ユーザーが音楽や映像を記録・編集しやすい環境を提供し、ヒットにつながった。

そして各機器の間を、ソニー独自の記録メディア「メモリースティック」に媒介させた。ソニーのデジカメを使うユーザーが画像をPCに取り込もうとすれば、ソニーのPCを使うと便利になる。これで、消費者が連鎖的にソニー製品を購入する仕組み、バリューチェーン(価値の連鎖)が生まれた。

それぞれ毛色の異なるカンパニーをネットワークカンパニーに統合したのも、とかく模倣合戦に陥りやすいデジタル競争から一線を画すバイオのようなビジネスモデルの創出を目指しているからだ。

機器ではなく「体験」を売る

【ソニーらしさ】の追求

従来のソニーらしい商品の多くは、井深大、盛田昭夫、岩間和夫、大賀典雄と続いた創業期を知る第1世代の下で生まれてきた。だが、1995年の出井体制の誕生で「ヒラ社員」を経験した第2世代へと、バトンタッチが行われた。今後は、スーパーCEOやCOO抜きでソニーらしい製品が生まれる仕組みづくりが必要となる。これが、出井がネットワークカンパニー制を導入した背景にある考えだ。

では、【ソニーらしさ】とはどういうことだろう。代表的な商品例として「ウォークマン」を考えれば分かりやすいかもしれない。

ウォークマンが登場する以前には、リビングに据え置いたオーディオセットの前で音楽を聴くのが常だった。ところが、ウォークマンが登場した後は、外出先でも気軽に音楽を聞くことができるようになった。

重要なのは、ソニーが単なる「小型のカセットテープ再生機」というハード以上のものを提供したことだ。ウォークマンは、音質が優れていたわけではなく、取得した特許はといえば、ヘッドホンを接続するための「ミニジャック」ただ1つ。技術的に目新しいものはなかった。

それでも当時、ウォークマンを買った筆者は、人気ドラマのBGMを街角や電車の中で聞いては、自分がそのドラマの主人公になったような新鮮な体験をした。場所を変え、時を変え、同様の体験を楽しんだ読者も少なくないはずだ。つまり、我々ユーザーがウォークマンで得たものは、密室から自由な戸外へと時と場所を変え音楽を持ち出す、「体験」だったとはいえないだろうか。

この体験を売るビジネスモデルは、ヘビーリピーターを育てつつ、ブランド価値を高めてきた「東京ディズニーランド」にも通じる。

東京ディズニーランドが提供するアトラクションに、劇的な変化があったわけではない。それでも、開園から20年を経てなお右肩上がりの好業績をあげている。なぜかといえば、利用するユーザーの側が変化しているからだ。学生時代に恋人とともにディズニーランドを訪れて楽しい体験をした人も、結婚して子どもとともに訪れたときには、別の新たな感慨を抱く。ユーザーの生活環境や心理状態の変化にディズニーランドが働きかけることで、同じ商品から得られる体験が変化するというわけだ。

この、体験を商品化するソニーらしい製品は、現在のネットワークカンパニー制の下で、すでに萌芽が見え始めている。良い例が、「コクーン」だ。コクーンは、一面ではデジタル録画機だが、「次世代テレビ」とのコンセプトで事業が進められている。記録容量や処理速度のみを商品の売りにしている他社製品との大きな違いは、学習機能を持つところだ。コクーンは、予約する番組の内容を記録・分析し、ユーザーの好みを徐々に学習していく。番組予約をしなくても、ユーザーの嗜好に合った番組を自動的に録画してくれる。ユーザーの嗜好の変化に合わせ、コクーンが選び出す番組構成も変化することになる。

他社製品を購入したユーザーは、数年後、より性能の良い別の会社の製品に買い替えるかもしれない。だが、自分の好みを学習したコクーンを持つユーザーは、将来、自分専用にカスタマイズしたデータを移し替えることができるようになれば、より性能の向上したコクーンに買い替える可能性が高いと考えられる。

ソニーらしい製品を、バリューチェーンを活用して売り続けるというネットワークカンパニー制の狙いが、具体化した商品といっていいのではないだろうか。

「クオリア」の使命は

沈滞ムードの払拭

もちろん、課題がないわけではない。その1つは、技術者のモチベーションの維持だ。

ネットワークカンパニー制の下では、PCとテレビやビデオを融合したバイオのような商品が期待されている。つまり、最先端の技術より、複数の製品同士の「融合」が重視されるようになった。

従来、テレビやオーディオの事業本部やカンパニーに所属していた技術者らは、自分が得意とする分野の技術を磨き評価されることに、モチベーションを見いだしてきたため、必ずしも自らの能力が発揮できない環境下で、ジレンマに陥る者もいた。

そこで「クオリア」が生きてくる。技術者は、挑戦的な課題に向かい、持てる力を思う存分に発揮できるからだ。確かに商業的な成果がすぐに表れるわけではないが、技術力の底上げと、開発現場のモチベーションの向上には貢献するに違いない。

ソニーらしい商品をシステマチックに作り出す組織づくり--。ソニーが見据えているのは、短期的な企業業績の極大化ではなく、長期的な企業の存続のはずだ。短期的な株価の上下に右往左往するようでは、それこそ、ソニーらしくない。

くすのき けん

1992年、一橋大学大学院商学研究科博士課程修了。一橋大学商学部専任講師、一橋大学商学部およびイノベーション研究センター助教授を経て、2000年から現職。著書に『ビジネス・アーキテクチャー』(有斐閣・共著)『イノベーションと知識』(東洋経済新報社・共著)などがある。

逆襲のソニー--エレクトロニクス産業の未来はあるか? 逆襲のソニー 危機からの脱出--色褪せた「デジタルドリーム・キッズ」の神話

2002年2月9日、週刊東洋経済

日本の製造業を支えてきた自動車とエレクトロニクス(電機)。トヨタ、ホンダの躍進に代表されるように、自動車は元気だ。一方の電機はどうか。“失われた90年代”に米IT産業の下請けに成り下がり、発展の翼をもがれた姿がそこにある。IT不況と中国の台頭にあわてふためく姿は、もはや日常風景になった。そうそうたるビッグネームが自信喪失に陥るなか、かろうじて新しい市場を切り開くべくメッセージを発信し続けているのがソニーだ。彼らの危機、そして彼らの挑戦--。ソニーの行方は、日本のエレクトロニクス全体の運命にも影響を与えるだろう。

モノづくりのソニー、今そこにある危機

エレクトロニクスで食いつないでいる間に、ブロードバンドで収益を上げる布石を打つ--。刺激的でわかりやすい戦略のメッセージだった。ただ問題は、現実がまったくそうなっていないことだ。

思えば2000の3月30日に開かれた経営方針説明会がソニーにとって1つの絶頂期だった。出井伸之社長(当時、現会長)が披露した世界観は刺激に満ちていた。

デジタルネットワーク革命におけるサイバー企業の出現と既存のリアル企業の反撃、そして両者の相克が新たに生み出す「リアルとサイバーの融合」--。この弁証法的な企業進化論に基づいて、出井氏はソニーの変革を進めることを宣言。そして革命の原動力であるブロードバンド(高速大容量通信)化により、ソニーの持つ多様なビジネスがかつてない壮大なシナジー(相乗効果)を生み出す将来像を描いてみせたのである。そのころ、ソニーの株価は3万3900円にまで駆け上がり、時価総額は15兆円を超えた。多くの人々がIT革命の勝者はソニーに違いないと信じた。

ところが直後に、株式市場でITバブルがはじけると、ソニーの株価は並の“ドットコム企業”と変わらぬ下降曲線を描き始めた。この1年の株価下落率はマイクロソフトやインテル、IBMに比べはるかに劣後している。それだけ市場の失望感が大きかったのだ。変調を見せたのはそればかりではない。1998年3月期をピークとする業績が、踏み止まる様子もなく後退を続けている。

ITが急伸してもAVで稼ぐ現実

あれだけ市場を熱狂させた「サイバー」領域の投資はなかなか実を結んでこない。そうこうするうちに「リアル」の領域であるエレクトロニクスがおかしくなった。ここにきて円安の“カミカゼ”が吹いているものの、為替予約に伴い300億円以上の差損も発生、2002年3月期の純利益はわずか100億円にまで落ち込む見通しだ。

松下電器産業や東芝といった他の電機メーカーに比べれば、ソニーの業績はこの不況下にあって健闘しているといっていい。しかしソニーのまれに見るコングロマリットぶりからすれば、単なる電機メーカーとの比較は妥当性に欠ける。国際優良企業の一方の雄であるトヨタ自動車が今期の経常利益を1兆円に乗せるのと比べれば、ソニーの現状はやはり物足りなく映る。

現在、ソニーの収益構造はどのようになっているのか。

2001年度第3四半期までの累計で見ると、エレクトロニクス部門は営業利益1582億円のうち448億円と全体の28%にまで落ち込んでしまっている。おそらくクリスマス商戦後の第4四半期は赤字だろうから、ピークからは10分の1ほどの低水準だ。一方、半導体の生産立ち上げに苦しんだゲーム部門は前期の511億円の赤字から浮上して673億円を稼ぎ出している。

本業の弱体化が著しいのは明らかだが、その中身を子細に眺めると意外なことが発見できる。伝統的なビジネスは堅調に利益を上げ続けているのだ。ビデオが営業利益955億円、オーディオが営業利益333億円、テレビが営業利益175億円といったところだ。ことに成熟ビジネスのオーディオで黒字を維持しているのは他社から見れば驚異的ですらある。

これらの製品カテゴリーは、いずれもソニーが長い年月の間に独自技術を磨き上げてきたものだ。ビデオ部門の主力製品は「ハンディカム」などのビデオカメラや「サイバーショット」などデジカメだが、これらの中核技術はソニーが世界に先駆けて実用化したCCD(電荷結合素子)である。また、オーディオ部門は独自規格のミニディスク(MD)が欧州でも普及期に入ってきた。それらには小型のメカトロニクスや高密度実装といった日本国内工場が得意な技術が詰まっている。

テレビでは独自のトリニトロン方式。ソニーは1996年に平面型テレビ「ベガ」を投入して日本国内シェアをそれまでの4位から1位に一気に引き上げることに成功、過去最高益の原動力とした。この平面ブラウン管を可能にしたのが、トリニトロン方式の優秀性だった。

となると、不振の原因はどこに求められるのか。子会社のアイワを除けば、最大の赤字源はここ数年、もっとも力を注いできた情報・通信である。その営業赤字額は今第3四半期までの累計で418億円。主力製品は「バイオ」パソコンと携帯電話だ。これらは後発でありながら着々とシェアを伸ばしており、情報・通信はエレクトロニクスの売上高のうち4分の1近くを占めるまでに成長した。一見、ビジネスは順調そのもののようにも見える。

ジワジワと進行した要素技術の弱体化

パソコンは出井氏が1995年の社長就任直後に再参入を宣言、現社長の安藤国威氏がリーダーとなってプロジェクトを発進させた経緯がある。つまり現経営陣が主体的に生み出した商品だ。さまざまなエレクトロニクス製品をつなぐ中心にパソコンは不可欠と見たから本腰を入れたのだ。

ただソニーにとってコンピュータは鬼門。1980年代には家庭用の「MSX」やワークステーションの「NEWS」を出したが、自然消滅している。もともとAV技術者が主流を占める社内ではコンピュータは傍流。再参入宣言の際にも「ソニーは周辺機器だけをやっていればいい」という声が少なくなかった。

確かに「バイオ」は販売面では成功した。が、低採算を続けているのも事実である。1990年代前半、すでにパソコン業界は基本ソフトのマイクロソフトとCPUのインテル(ウィンテル連合)に利益を吸い上げられる仕組みが出来上がっていた。いかにブランドとマーケティングに優れたソニーといえども、この壁を乗り越えるのは容易ではない。

一方、携帯電話端末はパソコン以上に後発だ。業界内では「第3世代についていくのは難しいだろう」と見られていたほどである。ソニーの日本国内シェアが急拡大したのは2001年春投入のNTTドコモ向け「503i」から。ところが思わぬ落とし穴があった。相次ぐ不具合の発生である。結局、直接の回収費用だけで131億円を計上、その間の機会ロスも含めれば被害は甚大だった。NECや富士通といった通信分野で歴史を持つメーカーが大きな問題を発生させていないのを考えると、やはり後発メーカーが抱える歪みが噴き出したと見ざるをえない。

携帯電話部門は2001年10月に世界第3位のエリクソンと事業統合した。ソニーの端末部門が左前になったところを、すかさず対等出資にまで持ち込んだマネジメントの手腕は賞賛に値する。ただ負の遺産を持ち込まないことを確認し合った新会社だが、最初の四半期決算は152億円もの赤字スタートとなった。まずは経営再建から始めねばならず、ソニーとしてはそれだけリスクを背負い込んだともいえる。

1996年までコンピュータに真正面から取り組んでこなかったツケは意外なところにも表れている。コンポーネント部門も182億円の赤字に陥っているが、その主たる要因はコンピュータディスプレー事業の悪化だ。ソニーはブラウン管ディスプレーを米国メーカーなどにOEM供給しているが、主顧客のデルコンピュータから取引を打ち切られるなど苦境にある。

韓国製などに比べ価格競争では劣勢だ。しかし、問題の本質はコンピュータの世界で液晶へのシフトが急激に進んでいることだ。ソニーは一部を除いて液晶事業には弱い。中村末広・執行役員副社長はこう語る。

「ソニーはAVメーカーなので動く絵にこだわりがあった。液晶は静止画に向いているとわかっていたが、ソニーは1980年代にコンピュータをあまりやっていなかったので液晶への取り組みもおろそかだった」

結局、サンディエゴ工場のブラウン管製造ラインは117億円かけて廃棄せざるをえなかった。それでも設備過剰は解消されていない。

次世代ディスプレーへのシフトは家庭用テレビでも進む兆しがある。筆頭はTFT液晶。そしてプラズマ・ディスプレー・パネル(PDP)だ。だがソニーは中核となるパネルを自社生産する考えはない。現在、有望視しているのは有機ELとFEDで、本格投資に踏みきるかの決断は2003年中という。「ポスト・トリニトロン」の道筋は混沌としている。

「制御不可」から「制御可能」への挑戦

ソニーは今期のエレクトロニクス不振を「アンコントローラブルなOEMビジネスでやられた」(安藤社長)と集約してみせるが、それだけだろうか。

1980年代のソニーは多角化を猛烈に進めた。前半には生命保険の立ち上げがあった。このときは安藤社長も中心メンバーだった。続く1988年には米CBSレコードを20億ドルで買収。そして極め付きが1989年のコロンビア・ピクチャーズ買収だ。借入金の肩代わりも含め買収総額46億ドル。さらに経営者ランキングを迎え入れるため独立系製作会社も2億ドルで買収した。これに絡むワーナー・ブラザーズとの訴訟の和解費用や新たな撮影所の整備などで出費は億単位でさらにかさんでいった。

ところが1991年にジョン・ピーターズ共同会長が辞任したのを皮切りに幹部の退社が相次ぎ、経営は混乱。1995年3月期には営業権の一括償却で1706億円もの営業赤字を余儀なくされる。一連の買収の立役者でその後、シナジーを求め無謀な戦線拡大に走った北米統括のマイケル・シュルホフ氏は1995年12月、事実上解任された。

ソフトへの傾斜は「ベータ対VHS戦争」の敗北がバネになったともいわれている。強いソフトを持つことでハードも売れるようになるとのもくろみだ。このことはコンパクトディスク(CD)の普及である程度証明されたが、1995年に決着したDVDの第1次規格戦争では何の役にも立たなかった。巨額買収を十分に生かしきっているか。現状はそれこそアンコントローラブルに見える。

間違いないのは、ソニーのトップマネジメントが多角化とそれによってもたらされた混乱の収拾に忙殺されている間に今日、IT革命と呼ばれる技術進歩が着々と準備されていたことだ。そしてさらにこの1~2年の間に進んだAV製品のデジタル化、コモディティ化により、中国が急激に台頭している。その影響をもろに受けたのが子会社のアイワだ。この間、ソニーのトップマネジメントは本業離れした構想を口にすることが多かった。アイワに対する抜本対策が遅れたのは、そうしたスタンスと無縁だったろうか。

2001年3月の経営方針説明会で、安藤社長は「エレクトロニクスがどんなときでも成長しないと全体の成長はありえない」「いかにハードの価値を増大させるかがこれからのチャレンジ」と訴えた。多角事業のシナジーを求める「ブロードバンド戦略」や肥大化した事業ポートフォリオの是非に対する議論は脇に置いたままだが、「半導体こそが差別化エンジン」(出井会長)という言葉とともにエレクトロニクスへの回帰色を鮮明にした瞬間だった。

パソコンや携帯機器、テレビ、ゲームといったデジタル製品をネットワークサービスを絡めてシームレスにつないでユーザーに新たな楽しみを提供しようという「ユビキタス・バリュー・ネットワーク」構想は、パソコンにおける「ウィンテル支配」から主導権を取り戻そうという決意だ。いち早くAVとITの融合を唱えてきたソニーにしかそれは成し遂げられないとの強烈な自負。そして、この不況下にも日本発の作り込まれた商品が収益力を保っているという現実--。自負と現実を両手に、「失われた何年か」を取り戻すことはできるのか。ソニーの逆襲は静かに始まっている。

ソニー 社長 安藤国威

安田講堂の攻防戦があった1969年に東大経済学部を卒業。ソニー入社早々、創業者・盛田昭夫氏の秘書に。ソニー・プルデンシャル生命立ち上げの中心メンバーとして活躍。北米の製造統轄責任者を務めてから帰国後、パソコンの「バイオ」シリーズを成功させる。2000年、社長兼COOに就任。60歳。

ソニー 会長 出井伸之

実父は早大政経学部の教授で自身も稲門をくぐる。ソニー入社後は外国部に配属、フランス法人設立に参加。1980年代にパソコン事業を手掛けるが失敗。担当事業部長として「ベータ」撤退も指揮した。1995年に社長就任、2000年会長兼CEOに。64歳。

盛田昭夫

創業者。大阪帝大理学部卒。尾張の造り酒屋に生まれ、海軍時代に井深氏と出会う。盛田家は長年実質オーナー。ソニーを世界に売り込み、欧米で最も知られた経済人だった。経団連会長目前に病いに倒れ、1999年死去。

大賀典雄

東京芸大音楽部卒。1982年社長就任。在学中よりソニーの嘱託社員となり、ベルリンに音楽留学。製品デザインを洗練させた立役者で、プレステ立ち上げにも尽力。2001年11月末、北京で東京フィルを指揮中に倒れる。

井深 大

創業者。早稲田大理工学部卒。パリ万博で優秀賞を受賞、天才発明家として脚光。戦前から企業経営に携わり、戦時中は海軍で兵器開発。1946年東京通信工業設立の趣意書で「理想工場の実現」を説いた。1997年死去。

岩間和夫

東京帝大理学部卒。1976年社長就任。盛田昭夫氏の義弟。エンジニアとして井深氏を支え、CCD開発を指揮。1970年代にコンピュータ時代の到来を予見し、プロジェクトを立ち上げた。社長在職のまま1982年に急逝。

深層断面/日本に根付いたか「CEO」「COO」。上場企業の大半が導入へ

2000年9月

ここ数年、執行役員制度とともに最高経営責任者(CEO)、最高執行責任者(COO)制を導入する企業が急激に増えている。各社とも「企業の透明性やコーポレートガバナンス(企業統治)を高め、アカウンタビリティー(説明責任)を明確にするため」と口をそろえるが、中には執行役員制度を取締役の人数を減らす道具にしているケースも見受けられる。一方では、執行役員制度をとっていない会社の会長が「私が最高経営責任者だ」-とCEOの名称を使って“院政”を公言する場合もある。文字通り会社の長だった「社長さん」が形がい化しようとしている。

執行役員制度がにわかに注目されてきたのは経済のグローバル化の波が押し寄せたからだ。世界企業・ソニーが3年前に導入した時には「アメリカかぶれ」と揶揄(やゆ)した経営者もあったが、今では上場企業の多くが導入、または導入を検討している。

しかし、執行役員制度-と一口でいっても、やむにやまれぬケースも目立つ。2000年6月、日産自動車の社長にカルロス・ゴーン最高執行責任者(COO)が就任した。日産は1999年6月、仏ルノーから36・8%の出資を受け入れるとともに執行役員制度を導入、ゴーン氏がCOOに、ムロンゲ副社長が最高財務責任者(CFO)になった。

しかし、三菱自動車の経営権を握ったダイムラークライスラーのシュレンプ会長は「代表取締役」の肩書は持たない。マツダを傘下に収めるフォードのナッサー社長も代表取締役ではなくCEOだ。逆に、ルノーには「社長」はいない。「代表取締役」はシュバイツァー会長だけで、他には副社長が5人いるだけ。買われる側の日本の企業が、経営の自主を守ったようにみせるために都合の良い解釈をしているに過ぎない。

米国やドイツでは経営の執行と監督は完全に切り離されている。日本の商法でも取締役会は代表取締役を監督する義務があるが、実際は代表取締役は取締役会で最高の地位にある。「産業新生会議」のメンバーであるソニーの出井伸之会長兼CEOは「これではチェック機能が働かない」とし、政府に商法改正を呼び掛けている。

こうした声や相次ぐ企業の不祥事を受けて、法務省の商法部会は法改正の準備に入っている。日本の株式会社の象徴である「代表取締役」が消える日がくるのだろうか-。

日産

日産自動車は1999年3月27日、仏ルノーとの包括提携発表の席上、CEO・COO制の導入を打ち出した。提携交渉を取り仕切った塙義一社長(当時)がCEO、再建請負人としてルノーから送り込まれるカルロス・ゴーン執行副社長(当時)がCOOに就任するとの内容。1999年6月末の株主総会で執行役員制度を導入、商法上の取締役を37人から10人に圧縮した。塙氏が会長兼社長でCEO、ゴーン氏が代表取締役でCOOと、二人三脚で日産の再建策が動き出した。

「ゴーンCOOが自動車本業のオペレーション、塙CEOがルノーとのアライアンス関係など対外交渉を担当する」という役割を分担する。

『経営』と『執行』それぞれに最高責任者を置くCEO、COO制本来の趣旨に沿ったものともいえるが、当時の日産の経営の焦点は自動車事業をどう立て直すかがすべて。このため、実質的にはゴーンCOOが再建策のすべてを取り仕切り、塙CEOがルノーとの関係維持や社内の融和を進めてゴーン氏をサポートする形だった。

ゴーンCOOのリーダーシップのもとに策定された「日産リバイバルプラン(NRP)」は1999年10月18日に発表。NRPは工場閉鎖、部品調達先の企業数削減、人員削減といった衝撃的な内容を打ち出すとともに2000年度連結最終損益の黒字転換などを公約した。社内からも「身内ではここまでできなかった」との声が上がったプランを実行していくゴーン氏は2000年6月に社長兼COOに昇格、名実ともに日産のトップとなる。

自動車業界では同じく外資との提携で生き残りを目指した三菱自動車工業も、一連のリコール問題を受けて体制を刷新するなかでダイムラークライスラーからのCOO受け入れを決めた。

ダイエー

ダイエーがCEOを採用したのは1989年1月。当時、会長兼社長だった中内功氏が就任。以来、1999年1月に社長職を辞した後も、一貫して最高経営責任者の職にある。社内では「会長」よりも「CEO」の呼称が定着。導入が早かったせいか、社内外で話題となった。さらにCEOの呼称を使うことで、創業者である自身に経営責任の所在を集約する狙いもあった。

導入の経緯は、総合スーパー(GMS)のチェーンストア手法を海外から学んだことにある。中内氏も海外出張や現地のスーパー経営者との交流で、CEOの仕組みを見ており、そういった意味で時代を先取りした格好となった。当時、多角化路線の過程で子会社も増え、グループにおける最終的な経営責任者を決める必要もあったからだ。

COOは1996年2月、当時副社長だった長男の中内潤氏(現ダイエーホールディングコーポレーション社長)が就任したが、今は空席。功氏が業績不振の責任を明らかにすると同時に企業風土の刷新を求め、味の素社長を経てダイエーグループ入りした鳥羽董氏に社長職をゆだねてからもCOOの呼称は使われていない。

現在、事実上の最高経営決定機関といえる「トップマネジメントミーティング(TMM)」をはじめとした社内会議で経営の方向性が決まる。そこで名実ともにCEOの中内会長が最終的な経営責任を負う。GMSを日本国内有数の小売り業態に育てた功績もあり、その影響力はいまなお大きい。中内氏自身も「生涯現役」を一貫して明確にしているため、ダイエー再生に向けた意思決定のカギを握るのは間違いない。ただ、営業力の回復がままならない現状にあって、経営改革の進ちょく状況とともに、今後どのような執行体制を取るのかも注目される。

オリックス

オリックスは1998年に執行役員制を導入したのに続き、2000年4月の社長交代を機にCEOの下にCOOを置く体制にした。1980年から社長兼グループCEOを務めてきた宮内義彦氏が代表取締役会長兼グループCEOに就任。社長に昇格した藤木保彦氏が新設ポストのグループCOOを兼務している。経営と執行を分離し、経営の意思決定を迅速にするのが狙いだ。

オリックスでは国内外のグループ各社を各事業部門と同列に位置づけ、グループ全体をCEOやCOOが統括。宮内・藤木の両氏、石田克明副会長、竹田駿輔副社長の4人が25部門と主要グループ会社の責任者と業績や事業の方向について話し合う会合を毎月開いている。2000年4月からは藤木氏が会合を進行させるとともに、一定額以上の投融資の是非を諮る「投・融資等委員会」の委員長を務めており、CEOとCOOの役割分担を図っている。

経営と執行の分離については、1997年6月に準備組織「諮問委員会」を設けて検討。1998年6月に執行役員制を導入した。1999年6月には社外取締役を迎え入れたほか、取締役や執行役員を選任する「指名・報酬委員会」を設置した。

オリックスでは「組織改革は急にできるものではなく、従来の日本型経営からグローバル標準の経営にしてすぐに成功するかどうかは分からない」としたうえで、「今のところ株主からは評価してもらっていると思う。まだ完成形ではないが、さらに株主に顔を向けた経営体制を追求する必要がある」と説明する。

現在、取締役10人のうち社外取締役は宮原明富士ゼロックス副会長と田村達也A・T・カーニー会長の2人。今後は社外取締役の割合を高め、より株主の利益を反映できる体制にしていく方針だ。

ソニー

ソニーで公式にCEOの称号を使い始めたのは故盛田昭夫氏。1976年1月に社長から会長に就任する時、同時にCEOとなった。この時、後任の社長である故岩間和夫氏もCOOになっている。これは社長を退任した後も、実質的なトップの地位は盛田氏であることを内外に示したものだ。

以来、CEOは実質的なグループの総帥の地位を示す称号として、会長・社長以上の意味を持っている。大賀典雄氏は社長在任中の1989年に、盛田氏からCEOを引き継いだ。これを現在の出井伸之氏が継承したのは1999年。出井氏はこの2000年6月に会長になったばかりだが、ソニーの総帥としては就任2年目ともいえる。

米国企業でもそうだが、CEO、COOという称号は役割分担を示すものではなく、企業としての権限序列(ナンバー・ワン、ナンバー・ツー)を示すものだ。ソニーは周知のように、取締役会と執行役員の役割を分離している。出井氏を例に説明すると、「執行役員会長」として経営にあたり、「代表取締役」として他の執行役員を監督し、さらに「CEO」としてソニーグループを代表するという立場にいる。

同じことはCFOについてもいえる。米国ではCFOは「財務担当」という本来の意味から、CEO、COOに次ぐ「ナンバー・スリー」を示すものに変質してきた。ソニーが2000年4月に徳中暉久副社長をCFOに任命したのも、こうした意味合いが強い。徳中氏は、企業買収や出資などの戦略を担当するものの、経理の専門家ではない。

ただ、こうした米国流の呼称は日本ではまだ理解されていない。このためソニーでは、CEOなどが同時に「代表取締役」になることで、経営のトップチーム3人を明確化している。

一刀両断・識者の目/経団連経済本部長・角田博氏

本来、CEOやCOOは執行役員で、取締役会から業務の執行を監視される立場にあるわけだが、日米ともCEOは代表取締役会長が兼任するケースが多く、監視される側と監視する側が同じ人物になっている。日本では商法上の規定はなく、定款で定めればよいことになっており、経営の効率化と改革のスピードアップを図るためにこぞって導入された制度だから、うまく機能していればそれでよいと思う。ただ、実態はいかにうまく運用するかを模索している段階だろう。

最初に導入したソニーにその理由を聞いたことがあるが、ソニーの場合は外国人株主が増えたため、外国人が理解しやすい体制にするのもひとつの要因だといっていた。

日本では従来の体制のままで取締役が執行役員を兼任している場合が多く、本来の目的、意図から考えると、日本に根づくとしても時間がかかりそうだ。